1801年に起きた、エスカス神殿の神官が殺害された事件。
当時、人間王はいつからか伝統的に魔法を嫌っていた。
1787年、当時の人間王スキエは魔法使い(今でいうあらゆるバトリスト+α)の虐殺を開始した。 スキエは、魔法とは神が意地悪く地上人に与えた悪しきまやかしであるとし、神を祀る神殿の家系にも牙をむいた。
1801年、エスカス神殿で銀河神ルベルクを祀る家系であるエスケハムク家の当時の神官(当然魔法使いでもあった)のユニアックが王室軍により殺害された。 これがエスカス事件である。
神殿の家系からの初の死者が出たエスカス事件を機に、消しゴム・棒人間の王室からの経済的制裁や、フレイザの呼びかけにより蜂起した魔法使い達やその他市民達との幾多の衝突を経て、人間の王室は1847年に撤廃された。
同時に、スキエは処刑された。
このような経緯があるため、消しゴムや棒人間の王室は政治に関わらないものの今も存在するのに対し、人間の王室は存在しない。
人間王室による魔法差別が続いていた間、少しずつ一般市民にも(特にスキエが統治していたナイナム地域で)魔法に対する差別意識が生まれていた。
しかしエスカス事件以降、これが神に敵対する思想として問題視され、魔法差別撤廃運動が始まった。これは特に人間王室の撤廃以降、過剰なまでに活発に行われた。
これにより魔法に対して差別的思想を持っていた者もそれを表に出せなくなったため、その子孫は「ネイティブの魔法差別」を知らずに育ち、魔法差別はなくなっていった。
差別が減ったことで撤廃運動は鈍化していったが、今度は逆に魔法差別に対する差別が懸念され、1849年、過剰な魔法差別撤廃運動を自粛すべきというお触れが正式に出た。
この魔法差別に対する差別への懸念をきっかけに、王政自体、王と市民を差別するものではないかと、徐々に王政が疑問視されるようになっていった。
そしてエスカス事件から100年経った1901年、ついに王政が廃止され政治は民主主義となった。
その後は、人間以外の王室は種族の象徴として政治に関わらずに存続することになった。